>>D-E
A - Adha~n 

アザーンとはイスラム教の礼拝の呼びかけで一日5回ジャミィ(モスク)の尖塔から大音響で流れる。早朝の呼びかけには「なんだ、なんだ?!」とびっくりして飛び起きてしまいうけど、聞き慣れてくるととても心地よい響きに感じる。トルコの黒海沿岸トラブゾンにある丘に行ったとき、ちょうど夕陽の沈む時間だった。街全体が見下ろせる岩場から黒海に沈んでいく夕陽を見ていると、離れたところにラクという強い酒を呑む親爺がいた。「そっちにいっていいか?」親爺はそばにやってきて肴のサクランボを分けてくれた。酒を手に下に見える城壁を指して「この城壁は昔オスマントルコの侵攻があったころからのものなんだ。お前達は日本人か?そうか、日本人はいい。この街にはドイツやアメリカやオーストラリアやいろんな国の人がやってくる。みんないい奴らだ。イギリス人は良くないがな・・トラブゾンはいいところだろう?安心できる街だよ。ノープロブレムだ。」親爺はトルコ語で通じるとか通じないとかおかまいなしに喋っているが、不思議と言っていることがわかる。「見てみろあの夕陽を。写真は撮ったのか?」「うん。」すると眼下に見える街中のジャミィから一斉にアザーンが流れ始めた。一件一件違う声で唄われるアザーンは怒濤のサラウンド状態でこの景色にマッチする。まるで静かな黒海に沈む夕陽をアザーンで見送っているかのようだ。親爺はいたずらっぽい表情を浮かべ、ラクの入ったグラスを指さし「酒を呑んでいるときはアザーンが耳に痛いよ」耳をふさいでみせた。(イスラム教は本来飲酒禁止だ)夕陽がすっかり海に沈み親爺に別れを告げてその場を離れる。振り返ると夕暮れの街並とサクランボを肴に独り酒を呑む親爺の後ろ姿は哀愁にみちてなんともかっこよかった。「親爺〜かっこいいー!!親爺は最高の酒呑みだよ!!」私達は叫んだ。


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B - Bob
何年か前のバースデイプレゼントに友達から貰ったへんな人形。彼の名はBob.(そう名付けた)マッチョの彼とは旅に行くたびに同行している。フォトジェニックな彼を毎度激写。でも・・ひとり旅の時はかなり躊躇する。人がいないのを見計らって撮るのだが、ナイスビューポイントは人が切れないのでそんな中で撮る勇気がない。だからどこで撮った写真なのか見分けがつかないのが悩みの種だ。

>>" Bob's photo alubum ">>
>>”Bobの小笠原写真集”
 

ごちそうさまでした。


トルコ人はチャイを一日に何度も飲む。
毎日誰かしらにご馳走してもらった。


ラコステの靴下売りは絵にサインをしてくれた。頼んでないって。

イスタンブールにはありとあらゆる物売りがいる。スケッチしていたら私達を囲んで人垣ができ、おまけにテレビカメラまで来てしまった

親爺かっこいいー!!

 

 

C - Cay
トルコ、イスタンブールの夏の夕暮れは10時過ぎである。友人まさみと夕食を食べ、ホテルへの帰り道、高台になっている道路から見える夜景が素晴らしいので見にいった。道端には屋台のチャイ(紅茶)屋が停まっている。日本の屋台とそっくりだなー、と考えながら見ていると、道端で3人並んで食事しているチャイ屋のおばさんに手招きされた。「ちょっと私達の写真撮ってよ」(たぶん・・トルコ語だし)近づくと並んで座っていたおじさん2人がさっと立ち上がって席をあけてくれ、おばさんが「ここに座ってこれ食べていきなさいよ」と言う。道路に背を向け、崖淵の手すりの土台コンクリがテーブル、プラスチックの小さな椅子。その向こうにはまるで河のような金角湾と対岸の旧市街にあるいくつものジャミィ(モスク)のシルエット、そして街の灯りがキラキラと光る。並んだ鍋にはヨーグルトに刻んだキュウリを入れ塩胡椒で味付けてある冷たいスープと辛口ピラフ、インゲンの煮物。それをお皿に盛ってくれる。が、私達は食事帰りだ。お腹はパンパンである。それでもせっかくの好意を無にしたくなかったので必死で詰め込んだ。(おじさん2人はおあずけなのが、ちと気になるが・・)おばさんは夜景を見ながら黙々と食べる。私達に料理と夜景を指さしながら「あれも、これも最高だろう?」と誇らしげに言った。本当になんて贅沢な夕食だろうか。私達は頷きながら最高のおもてなしを噛みしめた。

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