I - Iwagishima
しまなみ街道は通るとただの国道で案外どうってことない。しまなみ街道を通るより見る方がいいに違いない!そう思い、しまなみ街道の横にある岩城島に行った。因島のフェリー乗り場で岩城島行には2つ航路があり、どっちに乗っていいのかわからなかった。切符売りのおばちゃんに聞いて乗った船が着いたのは岩城島の行きたい港の反対側。港にはバスもタクシーもないどころか人もいない。宿まで歩いて50分かかると船頭さんに言われた。バックパックを背負いとぼとぼ歩いていればとりあえず誰かが拾ってくれるだろう。しかし、何台か通った車は素通り。 同行のまさみが「ヒッチハイクだ!」と言う。「そうだね!」と開き直り、通りかかった車に手をあげるとすこし前方で停まってくれた。おじさんがドアを開けて顔を出したので「すみませーん!○○旅館に泊まりたいんですけど、反対側の港に着いちゃって」おじさんは「いいよ、乗って行きな」と言ってくれた。やれやれ助かった。「ひとりだと島の人の目があるから乗せにくいけど2人だから」良かった。「山の上に上るとすごい景色なんじゃよ。全部の島が見えるんじゃけえ」「え〜〜いいなーー」「じゃ旅館に荷物置いたら山に乗せて行ってやるけえ」「ずうずうしいんですけど、ぜひ!!」旅館に着くと、おかみさんがおじさんにお礼のビールを2本持たせてくれた。「ひろしちゃん悪いねー」小さい島じゃ、みな顔見知りだ。山道をくねくねと上っていくと夕暮れ時のちょうどいい時間だった。展望台にはコンクリのテーブルがあってその高さがちょうど377.6mだという。それは富士山3776mの10分の1だってことなんだけど・・テーブルで調節してるんだし富士山の10分の1だからって・・どうなんだ?・・ま、アイディアってことで。展望台からの眺めは正真正銘のパノラマで視界を遮るものはひとつもなく、目障りなものもなく、瀬戸内海のみをくまなく眺めることができる。夕暮れの空が紫色に変わり静かな海をほんのり赤く照らし、青く浮かぶ無数の小さな島。ずっと憧れていた瀬戸内海が目の前に広がる。写真を撮ろうとファインダーを覗いたけどその中に納まる景色はほんの一部で目で見える景色とは別物だ。写真は一枚も撮らなかった。おじさんは以前は名古屋で働いていたけれど島に戻ったそうだ。やっぱりこの島も嫁不足で女の人はみな島を出ていってしまうらしい。嫁に来ないか?と薦められた。「わしは天の橋立やいろんな眺めのいいところに旅行に行ったけど、どこに行ってもここよりいいと思ったところはひとつもないけえ」その言葉は嘘ではないと思う。あんなに素晴らしい展望台はどこにもない。間違いない。嫁には行かないが・・

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J - Jewish
ユダヤ人の深い問題については触れたくないのでそれは置いといて、イスラエル人の若者は社会に出る前に長い旅に出る人が多いようだ。よく繁華街でアクセサリーを売っている外国人はイスラエル人が多いと聞く。彼らは世界中を旅する間の資金作りにタイのあたりでアクセサリーを仕入れそれを売っている。タイ、コ・チャーンで会ったイスラエル人のシェリーは日本には3か月滞在したそうだ。「じゃ、アクセサリー売ってた?」と聞くと「Yes. 新宿、原宿」コンパニオンもちょっとやっていたと言う。「社長さーん」仕事で覚えたらしい。ビーチでギターを手に歩くモジャモジャ頭の青年を何度も見かけたので、気になってある朝話しかけた。「Do you play the guiter?」やった!中学校で習った英語がついに役立つ日がきたのだ(涙)。「どこから来たの?」「なに人に見える?」「オーストラリア」「違う」「カナダ?」「ノー」「アメリカ?ドイツ?う〜ん、イスラエル?」「そうイスラエル」「そうか、じゃあいろんな国を旅してるの?」「一年半旅してたよ。日本には1か月いた。九州が好きだな。」その長い旅もあと1週間で終わりだそうだ。ボブ・ディランやイスラエルの歌を唄ってもらい、お礼に似顔絵を描いてあげた。「名前はなんていうの?」聞くと「ドリームボーイと呼んでくれ。」そう言い放った(笑)。ドリームボーイは長い旅を終えてイスラエルに帰り、その後にたぶん入隊が待ち受けていたと思うけれど、今頃どうしているだろう?一日も早く平和な日々が訪れることを遠くここから祈るしかない。

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コ・チャーンは象の島という意味だ。昔はいっぱいいたという野生の象も今では一頭もいない。


Dream boyと呼んでくれ。